『佐々本果歩詩集』佐々本果歩(2018)

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佐々本氏はこれまでに2冊の詩集を出版している。《第1詩集『ロプロプ』(草原詩社 2003年)、第2詩集『よるのいえのマシーカ』(ふらんす堂 2013年)》
詩集と詩集のあいだに、少し簡素な造りの小詩集をいくつか出している。
今回紹介する詩集は昨年の冬に私家版で出されていて、冊子の造りから小詩集と捉えて紹介する。毛糸の雪だるまのかわいい表紙に寓話的で物語性の強い17篇の作品が収録されている。お話と現実と夢の3つの世界が混在しており、一見、少女的要素が濃い詩集に思える。しかし読み進めると現実的な描写が多いことに気がつく。
 
ぬるぬるした皮膚をしたみどりいろの
こどもくらいの大きさのいきものが
地下のカルテ置き場の奥にいる
まいにち、ずっと暇そうに、ぬるぬる、ぬるぬるしているのが見える
       (中略)
わたしは、事務服を着替えるため
夕方のおわりに、同じ服のひとたちの後ろについて
地下の廊下をぐるぐる迷路みたいにまわって
ドアの前にたどりつき
暗証番号を入力し、巨大なロッカー室へはいり
話し声のすきまでからだを小さくして服を着替える
       (中略)
守っていますっていうスタイルを日々たいせつにしている
おんなたちです
ふとったり、やせたり
黒タイツはいたり、なまあしをだす日もあって
黒いハイソックスの日もあるよ
ぬるぬるした皮膚の みどりいろの生き物は
わたしを見ても、すぐにわすれる
ちらりとこちらを見て、一瞬ですぐわすれる
夕焼けの外のひんやりした風の中で
暗くなる道をあるく
夜になって電気がきえたカルテの部屋の奥で
あの生き物はとろんとして
今夜も、寝たり、起きたりしているだろう
      (「地下カルテ置き場見習い」抜粋)
 
作中のわたしは「きちんと」仕事をしている。守ってますというスタイルを大切にする女性の集団の中で、はみださないように呼吸している。仕事をするということは、目の前の作業をこなすだけじゃない。上司や同僚たちから外れないように上手くやっていかなければいけない。はみださないように息を詰めているうちに「わたし」はみどりいろの生き物を見るようになる。やがて生き物の夜の姿を想像するようになる。みどりいろしたぬるぬるの奇妙な生き物は何だろう。その場所に住みつく妖怪かもしれない。辞めた人たちの怨念のかたまりかもしれない。きちんとしようと息を詰めた自分の別の顔かもしれない。いずれにしても、その生き物は息を詰めて生きている自分を遠くからちらっと見るのだ。そしてありがたいことに、すぐに忘れてくれる。干渉せずそばにいてくれる存在。
生きにくさを実感している読み手は、嫌悪を感じてもおかしくない様相の奇妙な生き物に次第に愛おしさを感じはじめるだろう。
 
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この詩集には「夜」がよく現れる。
 
かみさまによなよな祈った
よるは もともと暗いものだから
チビもクロもタロもピチも
なんにもこわがることない
平日のよるは
明日の予定があるよるは
知らないおじさんが来るっていうの
鉄でできた、高いへいをよじのぼり
赤い目をひからせたおじさんの夢をみた
わからない
ことば あんまり出てこない
夜はもともと暗いから
ほんとは、こわいことなどないのです
お昼間に、すがたをうつした かがみもみんな
夜のあいだに息絶えるでしょう
         (「真昼のかげ」後半)
 
ぼくは、たくさんの禁じられたものを
手でたぐりよせるような想像をして
どきどきしています。
よるは、ひとりで、ぽっちりとしているよ。
人ってそういうものだと習いました。
よるは、ひとりで、ぽっちりと。
どんなに目をひらいても、それが自然な
さびしさです。
ああ、あのきれいな、ももいろのひもにも
口に、出してはいけない
ひみつのなまえがきっとあるのでしょうね
       (「顔隠しの向こうの太いひもの名前」抜粋)
 
夜の静まった闇の中で、昼の日常の喧騒や言われたことを思い返す。そしてそれを冷静に、順序立てて語ろうとする。この、多弁なようでかなりの抑制を持った語りが、現実の規制や孤独感につながり、読み手の心に響くのだろう。日々の生活の中で外部のルールを強いられ、できるようにならなければいけない、手放さなくてはいけない、と、本来の自分との乖離に苦しんでいる方たちに読んでもらいたい詩集である。