岩木誠一郎詩集『余白の夜』(2018.1刊)

 
 
iwaki (337x499)
 
岩木氏は1959年生まれ。
8冊目になるこの詩集には22篇の作品が収められている。
1篇目の「夜のほとりで」の夜中の台所で1杯の水にたどり着き、最終篇の『雨上がりの夜に』にてその水を飲み干す。
そのわずかな隙間に、記憶が静かに、かつめまぐるしく行き交う。
それは一瞬のうたたねで長い夢を見たときに似ている。
各作品が微妙に重なり合い行きつもどりつしていて、詩集全体がひとつの物語にも読めてくる。
その物語の中に「指 指さき」がくり返し書かれていることに気がついた。
 
帰るのでも
訪れるのでもなく
つめたい指さきがたどるたび
少しだけ
つながりそうになる記憶のほうへ             
        (ガラスの街まで)
 
ガラスに触れる指さきの
つめたさをつたう記憶には
ひとすじの痛みがともなうだろう
           (遅刻)
 
ほんとうの世界には
いつも何かが欠けていて
差しのべる指のさき
空の尽きるあたりで
またひとつ星が燃え墜ちる
        (運河のまち)
 
図解した本には
小さなみずうみのようなもの
消えそうな径のようなものがあり
そこから
ときに剥がれ落ちてしまう薄い膜まで
わたしは
指のさきでたどってみたのだが
          (視る)
 
帰り着こうとするたび
遠ざかるものがあるから
だれもが指のさきまで暮れてゆく
          (しろい月)
 
グラスに水を注いで
指さきにふれるつめたさをたしかめる
          (朝のひかり)
 
記憶のなかの濡れた地図が
破れないように指でたどりながら
消えかけた土地の名を呼んで
忘れかけた町の名を呼んで
         (夜の地図)
 
指さきは人間の体の中でも鋭敏で繊細な部位だ。
その指さきに神経を集中させる描写は、
切迫した思いにつながっている。
作者は確かめている。いや、確かめたいのだろう。
 
あの日からずっと
みつからないものに
わたしはたどり着いているだろうか
カーテンのむこうの
ひかりに濡れたまちで
       (雨上がりの夜に)
 
物語はおそらくこれからも行きつもどりつしながら続いていく。
「たどり着く場所」を確認できるまで。
小舟に乗っているような不安定感を醸し出すこの詩集は、日々の慌ただしい生活のなかでたどり着けずにいる思いをひそかに抱いている人たちにそっと寄り添い続けるだろう。
静かな夜に開きたくなる詩集だ。
 
(詩集『余白の夜』2018年1月 思潮社刊)