まるらおこ詩集『つかのまの童話』(2018.10刊)

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詩集を手にして、まず表紙カバーに描かれた6羽のオウムが目に入った。熱心に話を聞いている者・あくびしている者・包帯をしている者。どのオウムもユーモラスで、似ているようで少しづつ違っている。
この詩集はまるらおこ氏の第一詩集で、41篇の作品が収録されている。オウムと同じ数の6つの章に分けられ、似ているようで違う顔つきの作品が並んでいる。
ユーモアを交えた身近な作品と、大きな出来事に直面している作品が混在し、それらの作品が一貫して同じ目線で語られている。テーマは重くてもおどろおどろしくなく、ほどよく肩の力が抜けており、読み手は身構えることなく作品に引き込まれていく。それがまる氏の詩の魅力の一つだろう。
テーマ性の強い作品もいくつかある。たとえば阪神大震災の体験を題材にした作品「きらめき」。万が一の時のために、カードでペットボトルの水を買い、その2年後、大地震に見舞われる。
 
おおきな地震がきた
木造タンスに押しつぶされ
隙間から死にもの狂いで這い出した
窒息寸前
呼吸ができない深海魚の気持ちを
味わいながらのがんばりだった
そこからまた意識を失い数時間
あるいはいくつかの夜と昼が過ぎ
目を覚ました
     (中略)
中からペットボトルがはみだしていた
1本を取り出して両手で持ち上げると
月明かりに波打ってきらめいた
力を振り絞って蓋をねじり切り
体の中に流し込んだ
そういえばクレジットカードの名は
LIFEだった。
22年後のきょう思い出した。
          (「きらめき」抜粋)
 
愛猫が亡くなり霊柩車に乗った時の作品「共存」。
 
輝く朝日が
黒いレースのカーテンから
木漏れ日のように
我と棺を照らす
桂から上桂、桂川を渡り
左大文字山のふもと
同志社前
鴨川を渡り
大文字山を正面に
見つめながら北白川方面へ
ビクトリーロードのように
霊柩車は美しき世界を巡りゆく
これはすべてわたしゆかりの
場所ではないか
きょうはおまえの葬儀なのに
霊柩車の中は
小春日和の陽光にいっそう
キラキラと包まれている
            (「共存」抜粋)
 
「きらめき」は生死をさまよう体験をリアルに書いていて胸を打つ作品だ。特徴的なのは書いている自分が「22年後のきょう」だと明記しているところだ。大きな出来事の中にあってもどこか冷静な視点を持ち合わせ、それとなく表現しているのもこの詩集の大きな特徴のひとつである。
また、日常に非日常が現れる作品も多い。「共存」では愛猫との別れを悲しみながら「これはすべてわたしゆかりの/場所ではないか/きょうはおまえの葬儀なのに」と、この非日常な出来事が自分の日常と重なっていることに気がつく。気がつく、というより、充分に意識し、確認している。なので詩行に加えたのだ。ここにも客観的でクールな一面が現れる。
作者は花が好きなようで、ハクモクレン・桜・紫陽花など季節の花が作品に描かれている。紫陽花の3篇を紹介する。
 
すっかり枯れてしまったベランダの鉢植えのアジサイが
ある日突然、茶色の枝を真っ白に変えた。
早春の冷気と陽光からおそろしいスピードで
エナジーを吸い取っていることに気がつかなかった。
「わたしきょうから春なんで」
アジサイが言い放つ ベランダで平然と
      (「良心の呵責の一例」抜粋)
 
遠くに聞こえる
何の音だろう あれは
たくさんのグラスのものが
互いにやわらかくかすかに
ぶつかり合っていて
きゃらきゃらと
薄闇の中で声をたてゆく
   (「空気をはらむ紫陽花の夕」抜粋)
 
あじさい好きの一年は
寺山修司の短歌をまねて
あじさいの球形に
顔をうずめた日から始まる
  (中略)  
花の中で虫がうごめき
驚いて
深海から一気に浮上するように顔を上げた
今年も一年の始まりだ          
      (「むらさきになる」抜粋)
 
「紫陽花」といえば色がうつろいゆく花であり、花に疎い人でも知らない人はいないだろう。古くから親しまれた花は作品の中で日常を表し、その日常のなかに垣間見える非日常を鮮やかに掬い取っている。
あとがきで作者は次のように述べている。
「『時』が、テーマの一つとなっています。いつも同じようなことを繰り返しながら生きている。どこかで、どこかにつながっている。ふと、そんなことを感じることがあります。」
あとがきのこの部分を読んで、わたしはこの詩集全体に流れる安心感の源がわかった気がした。それは淡々としたいつもの一日も、大きな出来事の起こった日もおなじ線上でつながっていて、これからも切れることはない、たとえ死がやってこようとも全てがなくなることはないのだという希望のような、願いのようなものを感じるからだろう。
最後に、やや異色の一篇を紹介したい。ここにはユーモアも分かりやすい解説もない。抽象的で読者に読みを委ねている
(「津波」がかろうじてのヒントか)。
この作品が今後の作者の詩作の方向性の布石かもしれないと思う。
     「連続・非連続」(全編)
連続したもののなかで生きている
頭蓋骨の二十三枚の骨がつながっているように
さっきの時間と今の時間とこれからの時間は
糊代でくっついている
連続しないもののなかで生きている
あったものが 時として
なかった以上になくなる
初めからなかったように
振る舞われる
振る舞いが作る氷点下の世界
残暑なのに
声は
津波をあびた草むらに吸い込まれる
連続した場所から
連続しないものを
正視すると引き裂かれる
特急列車の窓から通行人とは
目が合わない
だから斜視のまま凝視する
目の糊ははがさない
 
まるらおこ詩集「つかのまの童話」(人間社)2018/10/31刊