『空間の詩学』序章Ⅲ

◆序章Ⅲ(p017-020)

 

引用

「共鳴(レゾナンス)と反響(ルタンテイスマン)という現象学的姉妹語を鋭く感じとれる可能性がここにあることに注意しなければならない」

「共鳴は世界のなかのわれわれの生のさまざまな平面に拡散するが、反響はわれわれに自己の存在を進化することをよびかける」

「反響は存在を反転させる。詩人の存在がまるでわれわれの存在のようにおもえる」

「ある詩の充溢と深みはつねに共鳴―反響という姉妹語の現象なのである」

「イメージはわれわれのなかに根をはる。たしかに外部からうけいれたものだが、自分にもきっとこれを創造することができた、自分がこれを創造するはずだった、という印象をもちはじめる。イメージはわれわれのことばの新しい存在となる。イメージは、そのイメージが表現するものにわれわれをかえ、これによってわれわれを表現するのだ。いいかえれば、それは表現の生成であり、またわれわれの存在の生成である。ここでは、表現が存在を創造する。
この最後のことばは、われわれが考究しようとしている存在論の水位を規定してくれる」


「心理学のようにおずおずと因果関係をたどる学説、あるいは精神分析学のように、強く因果関係をあとづける学説は、詩の存在論を決定することはできない」

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要約

・ここでは共鳴(レゾナンス)と反響(ルタンテイスマン)について述べられている。精神の充溢は共鳴、たましいの深さの方向は反響と、水平と垂直の二方向で示されている。読者を完全にとらえる詩は、そのかたちを備えている。

・まずは反響によって、自分のなかにうまれでる詩の力を感じる。そののち共鳴や感情の反射や自分の過去の呼び声を経験する。→★たしかに、力のある詩を読むときは、読みながら(最後まで目を通さなくても)その深さがわかる。詩自体を自分の経験に照らし合わせるのはそののちの出来事となっている、その実感がある。残念ながらそんな作品に出合うことはそう多くはない。

・存在が表現を造るのではなく、表現が存在を創造する。イメージが表現をつくり、われわれをかえていくということ。

・精神分析学・心理学は詩の存在論を決定できない。→★私的には少なくともユングは詩の存在の創造性を持っていると思うのだが。