『空間の詩学』序章Ⅳ

◆序章Ⅳ(p021-024)
 
引用〔強調部分も本文引用〕
 
「このようにわたくしの研究は、純粋な想像力からうまれでてくる、根源における詩的イメージに限定し、多数のイメージの集合としての詩の構成の問題は扱わない」
 
「文芸評論家は、しばしば指摘されていることだが、自分には作れない作品をさばき、しかも軽薄な酷評がしめしているとおり、自分では制作しようとしない作品をさばくのだ。文芸評論家は必然的に冷酷な読者である。酷使され、くたびれ、ついには政治家の語彙までおちぶれたあのコンプレックスということばを、まるで手袋を裏がえすように、裏がえしていえば、つねに物知り顔で、つねに批判的な文芸評論家や修辞学の先生というものは優越サンプレックスにひたりたがるひとなのだ」
 
「読書に少しでも熱中したものはみな、読書によって、作家になりたい願望をやしない、またおさえつけている。よんだ文章が美しすぎると、羞恥心がこの願いをおさえてしまう。しかしこの願いはふたたびうまれてくる。とにかく好きな作品を何度もよむ読者はみな好きな文章が自分にかかわってくることをしっている」
 
「文章のか細い糸のうえ、表現の儚い生命のなかで、創造が実現する。しかしこの詩的表現は、生の必然によるものではないが、にもかかわらずわれわれの生に強い活力をあたえる」
 
「詩的イメージはことばからの浮上である。それはいつも意味をになったことばのややうえにある。したがって詩をいきることによって、われわれは浮上という有益な経験をすることになる」
 
「実用言語の通常の列からはなれたこのことばの飛躍は、ミニアチュールの生の飛躍である」
 
**********
ミニアチュール(仏:miniature):彩画・細密画
**********
要約
 
・バシュラールがこの本で研究するのは(基礎的な現象学的観察が追究するものは)「根源における詩的イメージ」である。詩には心理的に複雑な要素が介入し構成されているが、その部分については述べない。純粋な現象学が「反響」できるのは、全体から孤立したイメージの水位においてである。
 
・好きな作品を何度も読む読者は、好きな文章が自分にかかわってくる ―― 話のストーリーではなく、それよりもっと深い、作者への共感を覚え、読者は受け身を乗り越え、読書の愉しみから創作の愉しみへ反映していく。→★わたしも好きな本を何度もくりかえし読むほうだが、たしかに、読むたびに新鮮な思いに駆られる。作者と読者という枠を超えて、一体化する感覚に包まれることもある。
 
・詩的イメージは意味を纏った言葉から少し離れたところ(やや上)にある。その距離は短くはあるが、実用言語からはなれた言葉のまえで、生は激しい生気を放つ。そのように意味を綴った言葉から浮上することで、詩句の言葉は予知しがたくなり、また、自由をまなびとる。詩はことばの胎内そのものに自由を導入し、それゆえ、詩は自由の一つの現象として現れる。