大西美千代詩集『へんな生き物』(2021.6刊)

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16年ぶりの第7詩集。29篇が収められている。
表紙には古代壁画の猿のようなイラストが載っている。猿かな?、猿だな、ん?でもトカゲにも見える。変なの。ふふっと笑ったら、タイトルが「へんな生き物」なのに気がつき、またふふっと笑った。
 
大西美千代さんとは面識がない。なにがきっかけかは忘れたが、いつの間にかお互いの詩誌を送り合うようになった。大西さんの個人誌『そして。それから』は詩と美しい写真と旅の話が載っていて、送られてくるのを楽しみにしている。旅日記も描写が細かく、一緒に旅している気分になれる。今回、初めて詩集という形で作品に触れることになった。
 
タイトルの通り詩集前半にはたくさんの生き物が出てくる。きつね・フクロウ・猫・鴉……。どれもいるのか、いないのか、作品からするりと抜け出しては戻ってくるような、不思議な感覚にとらわれる。たしかにへんだな。好きな作品「猫が生まれる」を紹介。
 
すっと
笹の葉で切ったような美しいまなざしを残して
猫は路地に入っていった
開いたままの木戸
傾いた洗面台
古いタオル
ぶら下がる洗濯物
暮らしのためのこまごまとしたものの間を縫っていく
 
路地に入っていく猫がいると書けば猫が生まれる
猫の目を通して路地が生まれる
 
路地の上にはくもり空
 
その先は闇
          (「猫が生まれる」全文)
 
詩集後半になるとへんな生き物としてのヒトがあらわれる。過ぎた日を思い、これまでと変わらず暮らしながらもかすかに死の気配を感じ、立ち止まる。心のアンテナを立てる。
 
「花」
 
長い旅から帰ってきたら
出ていった時のまま部屋は沈んでいた
花瓶の花がひっそりと萎れていた
 
孤独ということを考える
埃の積もった部屋を掃除する
窓を開ける
風を入れる
朱は朱であることに耐えきれず
散ることもできずに
萎れていったのか この部屋で
 
わたくしはここから出て
闇や光や季節をまとって
ずんずんと歩いてきたが
 
ここから出て
ここに帰ってきたが
               (全文)
 
旅とは未知の場所に移動し非日常を味わうことだ。その体験や感想はよく見聞きする。けれど、ここでは本人不在の部屋に流れていた時間に焦点が当たっている。そのことが朱が萎れていることで視覚で捉えられる。ふと、子供のころ、生まれる前の街の写真を見て、自分がいないこの世というものが当たり前のように存在することに軽い恐怖を覚えたことがある。旅先で見たであろう光と、沈んでいる部屋の対比がふたつの時間の違いを引き立てている。
「だいじょうぶ」という作品はより死の気配が濃い。そこには恐怖もあるが、同時に死は生者に綿々と続いているできごとなのだと受け入れようとしている。
 
バスを待つ列で
目の前の人がくずれおちた
膝が折れ
力が抜けていく
だいじょうぶだおれはまだ死なない
 
それは誰かの声と重なる
父の
母の
すべて生きていた人の
 
いつかは死ぬ
わたくしの
 
うつむいたまま
背後に立つものの気配を
感じて立ちすくむ
            (「だいじょうぶ」全文)
 
あとがきで作者は「以前『人間は度し難いものだ』と言った人がいました。私もそう思ったし、思い続けてきたのですが、度し難いのは動物ではない部分であって、動物としてのヒトは哀しく愛しい生き物だと思うようになりました」と書いている。生き物としてのヒト。それはみなに平等に与えられた「死」を前に哀しく立ち尽くす。記憶を反芻し愛おしむ。その姿が詰まった一冊だった。
「大西美千代詩集『へんな生き物』(土曜美術社出版販売)2021.6月刊」